Diary

三輪理人の日記 ホームページ:http://aue13.html.xdomain.jp

エイプリルフールにおける嘘の一考察

4月1日はエイプリルフールと呼ばれ、嘘をついても許されるという性質を持っている。

本稿では、エイプリルフールにつかれる嘘として適した条件を考察する。

 

そもそも嘘とは、他人を騙すために用いられる真実とは異なる言葉と解釈できる。

本稿では、嘘を次の4つに分類する。

1)自己防衛の嘘:自分を守るために本能的につく嘘

2)知性化の嘘:自分をよく見せようとしてつく嘘

3)他人擁護の嘘:他人をかばうためにつく嘘

4)利益追求の嘘:報酬を得るための嘘

 

さて、エイプリルフールの嘘は、多くは人を騙すことそのものを目的としない。

その嘘に対応する「ネタバラシ」が嘘をついた本人から発せられる、あるいは騙された人々がそれに気がつくなどした結果、関係した

人々の間で様々な談義が行われることが本質である。

すなわち、これは「騙す」、「騙される」という行為を用いた娯楽である。

なお、楽しみを得ることを報酬と考えれば、こうした嘘は4)利益追求の嘘に分類することができる。

 

こうした特性から、エイプリルフールにつかれる嘘に求められる条件を次のように考察する。

なお、嘘によって得られる報酬を、「面白さ」と定義する。

1)騙されること

ネタバラシを目的としているため、騙すことが完遂される嘘のクオリティは求められないが、一度騙すことが成立しなければネタバラシも成立せず、面白さが失われる。

2)ネタバラシの理解が困難でないこと

騙されたのちのネタバラシにおける面白さが得られるためには、リズムが重要である。嘘の作りが凝ったものである場合、それが嘘であることを理解することが困難であると、騙された人に困惑が生じ逆効果である。

3)真実とのギャップが必要分空いていること

嘘の本質上、事実と言葉との間にギャップが存在する。このギャップは、笑いにおけるギャップと同質なものとして理解できる。したがって、このギャップが必要と考えられる分以上空いていることが必要である。

4)真実を、騙された人が自発的に推測できること

嘘をついた人によるネタバラシではなく、騙された人が真実を推測すると、嘘をついた人やその嘘を目にした第三者との一体感、嘘を見抜いたとい愉悦を得られ、面白さが増すものと思われる。

 

これらがクリアされている例を挙げると、4月1日が新年度初日であることを利用した嘘をつく人の身分が変わる及びその可能性の示唆などが代表的である。

 

以上が通常の嘘とは異なる性質を鑑みたエイプリルフールにつかれる嘘の条件の考察である。